成り立ち・沿革

東京都石神井学園の歴史

本園は明治42年に創立し、平成21年に100周年を迎えました。

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東京都石神井学園の創立

初代院長渋沢栄一の写真
東京都石神井学園の前身は、渋沢栄一が創設した養育院でした。養育院は1872年(明治5年)、本郷前田邸跡に老人、病弱者、浮浪児など240人を収容することからはじまりました。

これは、この年ロシア皇太子アレクセイ大公が来日することとなったが、首都である東京にいる乞食や浮浪者があまりに多くては国家の体面にかかわるのでこれを何とかしなくてはと始まったと、養育院百年史などに記されています。
東京都石神井学園の昔の写真
その後、本郷から上野、神田、本所を経て大塚へとその拠点を移してきたところでしたが、その大塚の施設に入所している子どもたちが同居する大人から悪い影響(感化)があることや、 施設そのものが手狭となったことから1909年(明治42年)6月5日、巣鴨(現在の都立文京高校の敷地)に子どもたちだけの施設分院を設立、これが東京都石神井学園のはじまりとなりました。なお、この養育院からは、この年の5月に船形学園が創設されています。

時を経て、巣鴨分院も老朽化や地域の繁華街化などから立地条件のよりよい現在地へ1942年(昭和17年)に移転し、名称もこのときに東京都石神井学園と改称して今日に至っています。

なつかしの石神井学園

子どもたちの様子

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新学期の登校風景(昭和20年代後半)

新学期の登校風景(昭和20年代後半)

昭和30年頃の裏門から見た学園

昭和30年頃の裏門から見た学園

昭和30年頃の入浴風景

昭和30年頃の入浴風景

調理風景

調理風景

食缶を運ぶ風景

食缶を運ぶ風景

昭和30年頃の食事風景(1)

昭和30年頃の食事風景(1)

昭和30年頃の食事風景(2)

昭和30年頃の食事風景(2)

昭和30年頃の食事風景(3)

昭和30年頃の食事風景(3)

食事を運ぶ児童

食事を運ぶ児童

創立50周年記念式典

創立50周年記念式典

キャンプドレイクによるクリスマスプレゼント

キャンプドレイクによるクリスマスプレゼント

バナナのプレゼント

バナナのプレゼント

自転車のプレゼント

自転車のプレゼント

コートのプレゼント

コートのプレゼント

冬の子どもたち

冬の子どもたち

キャンプドレイクのプレゼント

キャンプドレイクのプレゼント

米軍との交流(1)

米軍との交流(1)

米軍との交流(2)

米軍との交流(2)

米軍との交流(3)

米軍との交流(3)

キャンプドレイクの慰問(1)

キャンプドレイクの慰問(1)

キャンプドレイクの慰問(2)

キャンプドレイクの慰問(2)

キャンプドレイクとの交流会

キャンプドレイクとの交流会

天皇皇后両陛下のご訪問

天皇皇后両陛下のご訪問

昭和29年天皇陛下の行幸啓

昭和29年天皇陛下の行幸啓

昭和29年天皇皇后両陛下の行幸啓

昭和29年天皇皇后両陛下の行幸啓

夏祭りの櫓

夏祭りの櫓

夏祭りの太鼓

夏祭りの太鼓

夏祭りの盆踊り

夏祭りの盆踊り

55周年記念祭で作られた希望の像

55周年記念祭で作られた希望の像

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施設の様子

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昭和30年頃の正門

昭和30年頃の正門

昭和30年頃の東棟

昭和30年頃の東棟

昭和30年頃の浴室の外観

昭和30年頃の浴室の外観

昭和30年頃の調理室

昭和30年頃の調理室

昭和30年頃の調理室内部(食缶置場)

昭和30年頃の調理室内部(食缶置場)

昭和30年頃の児童寮

昭和30年頃の児童寮

医療室の外観

医療室の外観

浴室の煙突と洗濯室

浴室の煙突と洗濯室

南西から見た学園

南西から見た学園

制作中の希望の像

制作中の希望の像

完成した希望の像

完成した希望の像

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東京都石神井学園 園歌

作詞 片山智志
作曲 青 英権

一、
春は秩父の峯ひかり
秋ははるかに富士をみる
古城のあとの森蒼く
風さわやかに吹きわたる
武蔵野野辺に建つ園は
のびゆくわれら石神井学園

二、
世に荒波のすさぶとも
嵐に向かえ雨に克て
心は清く身体は強く
明日の光をかざすもの
野菊よ薫れ花開け
きたえよわれら石神井学園

三、
希望は胸に満ちあふれ
いそしみはげむ哥声は
銀杏並木にこだまして
とゞろき渡れ朝夕に
若い力を合わせつゝ
ほこれわれら石神井学園